南極観測を支える海上輸送 その1 南極・北極で活躍した耐氷船 前国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.はじめに 南極観測を行うのに欠かせないのは、何といっても輸送です。観測の成否は輸送に掛かっているといっても過言ではありません。このシリーズではこれまで、雪上車・トラクター・橇による陸上輸送と飛行機・ヘリコプターによる航空輸送について記述してきましたが、海上輸送については触れていませ
内陸氷床上基地の高床式建物とその維持 -その2 2000年以降の新しい考え方- 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.はじめに 前回は、氷床上に建設した建物とスノードリフトとの壮絶な闘いについて説明しました。今回は、2000年以降に建てられた高床式建物について詳しく説明します。その一部は、このシリーズの第5回「雪の吹き溜まりから建物を守る」でも紹介しました。建物を雪面上部に維持する
内陸氷床上基地の高床式建物とその維持 -その1 雪による埋没との闘い- 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.はじめに 南緯60度以南の南極圏で通年越冬し観測活動を実施している基地は、現在43か所あります(2017年3月末)。そのほとんどは、南極大陸沿岸や近傍の島の露岩に位置し、大陸内部の雪面上にあるのは、ほんのひと握りに過ぎません。主なところでは、米国が運用するアムンセン・スコッ
南極での小型航空機の利用 -その2 南極観測再開以降- 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.はじめに 前回は、南極で活躍した第6次隊までの航空機について説明しました。表1はそれをまとめたものです。 第1次隊では、朝日新聞社所有の機体を借用しました。第2次隊のビーバー機が、第1次越冬隊員を「宗谷」に収容した感動的な映像は、皆さんも見たことがあるかも知れません。同時に15頭の犬が昭和基
南極での小型航空機の利用 -スコットの係留気球から「宗谷」搭載のセスナ機まで- 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. はじめに 南極での探検や科学観測活動をするためには、何と言っても人員や物資の輸送がいちばん大事です。海には海氷が立ちはだかり、通常の船では太刀打ちできず、砕氷船が必要です。陸地では特殊な雪上車や橇が欠かせません。ところが、空に目を移すと、気温が低いだけで、通常の航
観測隊の内陸行動を支えた雪上車 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. はじめに 南極大陸行動での命の綱は、雪上車です。日本隊は、かつて小型航空機を越冬運用し内陸でも活用したが、緊急事態が起きたとしても天候に左右されるため、現場に急行できるものではありません。そのため、行動中の最終的な拠り所は雪上車でした。いったん雪上車のキャビンに入れば、とりあえず強風と寒さから身を守ることができ
南極昭和基地での太陽エネルギー利用 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. はじめに 昭和基地は南緯69度にあり、太陽高度も最大で40度と低いため、エネルギーとしての太陽光利用はあまり期待できないと思われがちです。しかし、年間の積算日射量は、日本国内と同等であり、夏期には東京の約3倍の量があります(図1)。 図1 昭和基地と東京の全天日射量 南極で日射量が大きい理由として第一にあ
南極基地での廃棄物と汚水の処理 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.南極に持ち込む物資と持ち帰る物資 1957年、日本の第1次越冬隊11人が昭和基地で生活を始めてから、途中3年間の中断はあったものの、来年2017年で南極観測は60年を迎えることになります。第1次隊の越冬物資は、150トンあまりでした。現在「しらせ」が毎年運ぶ重量は、コンテナ容器などを含めて約1,100トンです。こ
雪の吹き溜まりから建物を守る 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1. 第1次隊の建物 第1次南極観測隊は昭和31年(1956年)11月に「宗谷」で南極に向けて出発しましたが、南極観測隊が使う建物を検討したのは、主に日本建築学会から選ばれた南極建築委員会の方々でした。強風への構造的な耐力や暖房の熱損失などを考慮し、図1のような斬新な案も検討されましたが、隊長・副隊長の強い要望もあり、
南極での風力発電機の利用 国立極地研究所極地工学研究グループ 石沢 賢二 1.第1次隊が持ち込んだ風力発電機 第1次隊が南極に出発する年の昭和31年2月、南極地域観測機械関係準備委員会が日本機械学会に発足しました。この組織は、南極特別委員会の協力要請により遅ればせながらできたもので、民間会社の協力を得て、機械関係のいっさいの企画・準備を行い、観測隊に様々な製品を持たせました。そこで決めた方針は、①