南極観測と朝日新聞その17 極点旅行隊到着シーンの再現 柴田鉄治(元朝日新聞社会部記者) 村山雅美隊長が旅行隊の南極点到着のシーンを、翌日、取り直すことにした理由の第一は、NHKの隈部記者に対する同情の気持ちからだったが、もう一つ、到着のシーンが「旅行隊の記録」から欠けてしまったら困るという、旅行隊としての事情もあった。 翌日、米国隊員たちも協力してくれて、南極点付近は前日と同じようににぎやか
南極での一酸化炭素中毒の恐ろしさ 石沢 賢二(国立極地研究所極地工学研究グループ) 1. 第1次隊が持ち込んだカナリア 昭和32年に始まった昭和基地の越冬隊には、11人の隊員、19頭のカラフト犬の他に、さらに2種類の生物がいました。ひとつは「たけし」と名付けられた1匹の猫です。この猫は、観測船「宗谷」が出港する前々日の昭和31年11月6日に、「南極事務室」に3~4人のご婦人方が現れ、「一匹の子猫
スリランカと昭和基地周辺域(リュツォ・ホルム岩体)の地質学的関連性 北野一平(九州大学大学院比較社会文化研究院 特任助教) インド洋上の熱帯島国であるスリランカは、現地語で「光り輝く島」という意味でその名の通り宝石の産地として有名である。そのスリランカから南西へ約9000 km離れた東南極昭和基地周辺でも、スリランカと類似する岩石が露出している。これは、約6.5–5.0億年前に南米、アフリカ、マ
第60次南極地域観測隊の南極授業 高橋和代(東京都調布市立第七中学校 教諭) この度わたしが第60次南極地域観測隊に同行させていただき、昭和基地から中継授業をしたのは、勤務校である東京都調布市立第七中学校と、神奈川県逗子市にある科学館「理科ハウス」でした。教員人生において二度とない貴重な経験をさせていただきましたことを、みなさまに心より感謝申し上げます。教員派遣プログラムの大きなミッションのひとつ
赤田 幸久(第59次南極地域観測隊 越冬隊・野外観測支援) ボツンヌーテン・・・。 観測隊経験者でその名を知らない人はいないでしょう。 昭和基地から南方へ180kmほど離れた氷床上に、ぽつんと存在する「孤高の露岩」です。 ボツンヌーテンとは、ノルウェー語で「奥岩」の意味。 主要部の山体は3つのピークから成り、主峰/中央峰(1486m)、西峰(1472m)、東峰(1450m)。周辺の氷床高度は約1
紅は黄茅白葦に在っても隠れなし 山田 恭平(第59次南極地域観測隊越冬隊員) 筋力はないし、持久力もない。頭が回るわけでもないし、人付き合いが良いわけではない。最後がいちばん苦手だ。それでも南極観測隊員だ。 そんな淀んだ胸懐で、暗く冷たく不安定な南極で過ごすためには、心を繋ぎ止めるものが要る。舫が要る。灯台が要る。特に旅に出るとなれば、戻るために繫ぎ止める存在が必要だ。 写真1:内陸旅行中の薄
海氷下における魚類の行動・生態の解明 浅井咲樹(第60次南極地域観測隊 夏隊同行者 大学院生) 昭和基地前の海氷にて(2019年2月) 初めての南極は一言で言い表すと「知らない世界」であった。一面を氷に閉ざされた海、水族館や動物園でしか見たことがない野生の動物たち、どれをとっても新鮮で胸を躍らせる景色が広がっていた。今回はJARE60の夏隊同行者で参加したが、南極に行きたくても行けないという人が
南極で密かに息づくヒルガタワムシと南極観測隊に参加して感じたこと 和田智竹(第60次南極地域観測隊 夏隊同行者 大学院生) 南極大陸露岩域のスカルブスネスにて(2019年1月) 【大学院生が南極でどんなことをしているのかを知ることはこれから南極を目指す人にとって大変参考になるので】という文面と共に記事の執筆依頼を頂いた。これを念頭に、南極に行かれた方だけでなくこれから南極を目指す方も見るという事に
「北極圏を目指す冒険ウォーク」に挑戦して 西郷琢也(チームメンバー) きっかけは、私が働く大塚倉庫が昨年4月、北極冒険家の荻田泰永さんを招いて、社内で講演会を開いたことでした。講演で荻田さんは自身の経験などを語り、「来年は若者を連れて北極に行こうと思っている」と話しました。そのとき何かハッとするものを感じ、講演会が終わったタイミングで「連れて行ってください」というメッセージと、氏名、連絡先のみを記